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 この木曜日は前日の半休と併せて、盛岡の学会に行ってきました。

耳鼻臨床学会という名前の様に研究というよりは、実診療に近い発表が多い会です。

演題はほとんどがポスターで発表され、いくつでも自分の時間が許す限り見られるので、

短い時間でも能率良く勉強できる、お得な学会なんですよ。

さて盛岡は石川啄木ゆかりの地です。

「不来方(こずかた)の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

盛岡城 盛岡城跡公園

お城の草に寝転んでみようと思いましたが、恥ずかしくて止めました。(15歳でもないし。。。)

「やわらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」

岸辺 盛岡市街を流れる北上川の支流

北上川自体も盛岡市を流れていましたが、どこで見ても”岸辺目に見ゆ”で想像していたより

岸辺が近かったです。啄木の時代とは違っているのでしょうか。

最後にスタッフにお土産を買って”はやぶさ”と”こまち”が連結するところを眺めてから

hako.jpg ”はやぶさ”と”こまち”

新幹線に飛び乗れば、3時間半で三島駅。たった1日だったけど、静岡の訛りなつかし。

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2014.06.29 / Top↑
トルストイのアンナ・カレーニナは

「幸せな家族はどれも同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」

で始まる。。。そこで、W杯である。

「勝ったチームはどれも同じように見えるが、負けたチームはそれぞれの負けた形がある」

としても、スポーツ紙の見出しにならないだろうか?

トルストイの偉大さをW杯で感じてしまう。

さて、それぞれの負けの形を緊急提言よろしく、日本中が叫んでいる。

昨日、耳鼻科医会でお話しした開業医の先生(女性、私より10歳くらい年上)は

「もう、監督をモウリーニョに頼むしかないかしら」とおしゃっていた。

ゴルフがご趣味のどの角度から見ても淑女の先生から出た言葉として驚いた。

もちろん一般人だけでなく、サッカー経験者からの提言も多い。

”独創的な、相手の嫌なことをしなさい!”

ん~そんな風には教育されていないのが日本人だ。

W杯で勝つには教育基本法から見直さなければならないのか。

昔なんかの本で読んだ国民性ジョークに、

定員オーバーの救命ボート、だれか男性に海に飛び込んでもらわなければならない。

声をかける船員はアメリカ人なら「英雄になれますよ」、イギリス人になら「紳士ですね」

ドイツ人なら「それがルールです」、そして日本人には「みんなそうしていますよ」

なんてのがあったが、とても言い当てていると思う。

さてこんなサッカー論(?)を展開している私ですが、

6/22の夜、BSではメッシのアルゼンチンとイランが録画だが闘っているのに

見ているのはテレ東の大食い世界選手権(日本、タイ、ドイツ、アメリカで戦う)。

今、熱くなっている多くのサッカーファンの人よ、間違っても私を相手にしないでください。

2014.06.22 / Top↑
いつもの診察の光景、年少さんくらいの子に「今日は幼稚園で何して遊んでいたの?」と尋ねると

女の子なら「あのね~あのね~」と一生懸命お話ししてくれる。

男の子ならそうはいかない。返事を返してくれることはほとんど無く、

まるで私の声など聞こえていないように、これから始まる診察(未知なるもの?)に体をこわばらしている。

言葉だけではない、女の子はお話ししながら私に目を合わせてくれたり、お母さんに振り向いたり、

状況把握に忙しい。男の子は緊張していない子でもあまり目を合わせてはくれない。

他の事を考えているのだろう、そもそも心が診察室にない。

誰に教えられたわけでもないのに、診察室での行動は1歳過ぎたあたりから男女に違いがある。

人類が誕生した400万年前で、その頃は狩猟生活時代。男は洞窟を出て狩りに出かける。

獲物を仕留めるときはぺちゃくちゃおしゃべりをしていると逃げられてしまうので、

息を殺し獲物の息づかいに集中する。もちろんそんな時は余計なことは何も聞こえてはいないだろう。

女は男が食べ物を持ってくるのを、他の女の人や子供達と待っている。

同じ共同体が健康で仲良くしていけるよう、ほんのちょっとした変化も気がつくように

めくばせ、コミニュケーションを怠らない。

農耕生活が始まって1万年くらいだから、それまで399万年はこのような生活を送ってきたので、

男女の脳にも狩猟採集生活が円滑に送れるようプログラミングされているという。

う~ん納得。そう考えると、診察が終って緊張から解き放たれた男の子が、

恐竜やら車やらウルトラマンやら今まで握りしめたものを見せてくれるのは、

狩りから帰ってきた獲物を披露しているって事かしら?ということは。。。親愛の情なんだろうなぁ。

2014.06.15 / Top↑
”人は見た目”というと身もふたもないが、ビジネスでも恋愛でも

着ているもの、顔の動き、声のトーン、間など、言葉以外の要素でその人を判断するそうな。

そういえばそんな内容の新書も流行ったっけ。

確かに私も確信に迷っているときの説明は声が少し高くなっている気がするし、

向かい合っての視線が厳しいときなどは”まばたき”が多い。(最近は疲れ目で”まばたき”することも多いけど)

行動学によると、一番信頼できるのは冷や汗や心拍といった体の反応で、

逆に一番信頼できないのが"言葉”ということだそうだ。甘い言葉には注意なのですね。

何でこんな事を考え始めたかというと。。。

暑い季節になって半袖の白衣に変わった今週、

涼しげな紺色のポロシャツを着ていたら、看護婦の小林さんに、

「やっぱり服装がかっちりしていると、言葉に重みが出てくるわ」とほめられた。

ほめられると恥ずかしいので、とっさに♪ありの~ままの~姿見せるのよ~♪と歌ったら、

「ありのままなんかじゃだめなのよ!」とこれまた身もふたもない結論を出されたからでした。


2014.06.08 / Top↑
働き始めて間もないまだ20代の時、友達と仕事のことで話していたら

そんな頃にはよくある(?)ように、あーだこーだとグチの言い合いになっていった。

ひとしきり落ち着くと、友達の「でも、お互い自分がなりたかった職業に就いているんだよね」

とつぶやいた友達の一言で、その後のお酒がずいぶん美味しくなった。

「そう考えれば、グチ言えるのも幸せだよね」

そんな昔の事をふと思い出したのは、ちょっと前に話題になった、誰でもその歌を知っている

成功していたアーティストの薬物騒動があったからかもしれない。

”成功”とは何なんだろう?ぱっと思い浮かべるのは富や権力など華々しい雰囲気漂うものだろうか?

けれど何百万枚CDを売るような華々しく成功しても、幸せになれない場合もあるらしい。

成功することでオセロ駒が黒から白に変わるように、

不幸から幸福にはどうやら変わってはくれないもののようだ。

あの日、満足する事を気づかせたくれた友達の一言はグチという不幸話を幸せに変えてくれたけれど。

成りたいものになれて、それで生活できて満足できれば成功者で幸せ者だろう。

おまけに毎日こんな楽園を眺められば言うこと無しだ。

楽園  

2014.06.01 / Top↑