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♪この頃はやりの女の子、お尻の小さな女の子~♪

カラオケでこの曲が流れると、私はお茶をすするしかない。

だってだって、富山は民放2局だったんだもん。

キューティーハニーのアニメやってなかったんだもん。

私が大学に入った頃までは読売テレビ系列とフジテレビ系列の2局だけ、

だからTBS系列が入ってニュース23を初めて見たときは感動しました。

いまだに地上波では朝日放送系列が富山では見られないと思います。(見られていたらごめんなさい)

富山でのNHKは3チャンネルなので(1チャンネルは読売テレビ系の北日本放送)、

それが染みついている私は3月11日の東日本大震災の地震が起こった瞬間に

「テレビは3チャンにして!」とスタッフに叫んでしまい、硬直させてしまった恥ずかしい過去があります。

富山県民あるあるです。

さて、週末テレビを見ていたら元巨人の助っ人クロマティが来春から日本で活動するそうな。

民放2局の影響で、プロ野球は巨人戦しかなかったから巨人ファンが多い富山。

中学・高校の巨人党の同級生(今ではピアノの先生)が私に教えてくれたクロマティの応援歌を思い出した。

♪楽をしてもクロウ、クロウ、苦労してもクロウ、クロウ、お前が打たなきゃ明日は雨クロマティ~♪


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2018.01.28 / Top↑
昔、大学院生だった頃、私はウイルス学教室でお世話になっていました。

実験用のマウスを「生後6週、20g±2gで80匹」と注文をして仕入れていました(静岡県内から)。

マウスも(?)20匹に1匹はおまけが付いてくるんですよ。

そんなことはどうでもいいのですが、

そのマウスにインフルエンザA型のウイルスを感染させ、

マウスへの影響を事細かく調べることをやっていました。

-80度から解凍させたインフルエンザ液をピペットで吸って、マウスの鼻に垂らすと100%感染します。

そんなことを日々やっていると、指導の先生が「きっとこの先20年はインフルエンザにかからないよ。

この実験やっていると免疫つくからね。だって僕、かかったことないもの」宣言してくれました。

あの日々から今年は21年目、マウスたちの呪いが解けたのか私は病で倒れてしまいました。

現実は倒れるどころか、最近の薬が良く効いて食欲の低下も全くなく意味もなく元気でした。

高校2年生の時に感染した時はもっとつらかったので、31年もたてば変わるもんだなぁ~

まあ、患者さんに言っているように「たまに治る病気になることは良いことかもよ」と、

自分に言い聞かせこのインフルエンザ大流行の荒波を無事に仕事していきたいです。

IMG_1868.jpg

パクチーは寒さに負けず元気です。

時々引っこ抜いて、ワカモレサラダにいれるのが最近のブームです。



2018.01.21 / Top↑
今までも東京に行き地下鉄を使うたびに、いちいち切符を買う自分に”時代遅れ”を感じないわけにはいかなかった。

去年の夏に亀有駅で和服姿の老人が切符をポッケから探す私を「御免なさいよ」と追い越して

Suicaを使う姿に衝撃を受けたけど、沼津に帰ってくればSuicaが必要なシーンはなく、

いつの間にかそんな焦りも失せて。。。という具合だった。

しかし年末年始にコンビニで他の人たち支払いを見ていると、現金払いが少ないことに気が付いた。

極めつけは清水町のわくわくプールに行ったときに、ロッカーに50円を入れようとしていた老人が

「あ~めんどくさい、こういうのも電子マネーにならないかしらね」と。

NO~なんたる不覚。時代は老人に電子マネーを浸透させるほど進んでいるのに

私ときたらいまだに現金ジャラジャラ。

そこで今年は電子マネー元年とすることにした。

コンビニでの支払いで、私の後ろに列ができることもないだろう。

もしかしてだけど、最寄りのコンビニでは顔見知りの店員さんが笑顔を見せてくれるかもしれない。






2018.01.14 / Top↑
今年は沼津に来てから十五つ目の年になる。
30代半ばで赴任した市立病院では、故郷宮崎から高校を卒業して静岡に来て看護師となり子育ても終わってパートで働いていた彼女と出会った。彼女が静岡に来た時代は田舎を離れ就職する学生を「金のたまご」と呼んでいたらしい。
誰にでも優しく、嫌なことや愚痴は言わない人だけど、患者さんの悪態に舌打ちした私を諫めてくれた。
彼女には定年後に退職してまだ働けるならぜひ来てくださいと言って私は開業した。
私の願いを聞き入れてくれ、3月に定年退職して4月にはもう働こうとしてくれた。
彼女に「旦那さんと記念旅行とか行かなくていいんですか?」と聞くと「わたしゃ、こうやって動いているほうがいいんですよ」と。
いつも何かしら見つけては動いてくれていた。看護師なのに地味な仕事もやってくれた。「そのまま置いといてください。私がやりますから」と言われなかったスタッフはいない。私がお礼を言っても「アラやだよ、みつかちゃった」と舌を出して照れていたっけ。

その彼女が突然に逝って四十九日も過ぎた。

十分な感謝を伝えられなかった自分への怒り。子供たちの泣き声の中から聞こえたはずの彼女のあやす声を探しても、殺風景な病院に彼女が植えてくれたミントに水をやった時に漂ってくるその匂いを感じても、もう会えないという喪失感の底なし沼。
時間がたつにつれ、人を失った悲しみとその人との過ごした幸せはコインの裏と表のように1つのものなのだと思えるようになった。幸せが厚いなら、悲しみも厚くなる。
この2か月、スタッフは同じ悲しみを抱えて忙しい時期に歯を食いしばって働いてくれた。このことは感謝とあの日から今まで私が働く原動力になっている。
悲しみの果てにはやっぱり悲しみがあった。けれど悲しみのフィルターを通した世界は、ちょっとした心遣いにありがたさを感じられる柔らかい心になるのかもしれない。このことこそ彼女が私にくれた遺品なのだ。
今年は沼津に来て初めて彼女と一緒に働かない年になる。
2018.01.08 / Top↑