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今年もマンションにツバメが帰ってきました。
私の階のツバメは例年は割とのんびりさんで6月ごろに来るのですが、
今年は早く4月にはやってきて、5月には巣を完成させていました。
立派な巣を2メートルほど離れたところから見つめるオス。

さて、動物に感情はあるのでしょうか?
最近読んだ本によると、身体が反応したことに合わせて感情が選ばれるらしい。
感情を感じて(変な表現だが)から身体が動くのではなく、その逆ということが書いてあった。
例えば怖いからドキドキするのではなく、
ドキドキした今までの経験と合わせて”怖い”という感情を感じるそうです。
だから身体とそれをつなぐ神経系があるなら感情は生まれているらしい。
そんな難しいこと言わなくたって、動物を飼ったことがある人なら
特に犬を飼ったことある人なら、犬が感情を持っていることを疑わないでしょう。
友人の家のトイプードルは私が撫でるのを止めると、振り返ってジッと見てきます。
「撫でるのを止めないで」と言っている様です。

自分で作った巣を眺めるオスは満足げでした。
メスが卵を温めると、お互い近くにいて会話している時もありましたが、
何も鳴かないで、じっとメスを見上げている時もありました。
この時期はヒナが孵っていないので、私が近づいても逃げたりはしません。
視線を一緒にするようにメスを眺めていると、私の方を見てメスの方を見て、、、
まるで「私の妻は美しいでしょう」と私に自慢しているようだったのに。。。

今年はまだヒナが孵らないうちに、巣が壊され(たぶんカラス)卵も落ちてしまいました。
巣ができたときにも、妻が卵を抱いていたときにも見上げていた同じ場所から
もうない巣と卵を見つめるツバメ。
ツバメに感情がなかったらいいのにな。と思いました。

IMG_2863.jpg 
例年になく立派な巣でした。



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2020.05.31 / Top↑
自粛中の私のドラマ旅も”恋つづ”から”奥様は取り扱い注意”に
そして”逃げ恥”と変遷しているうちに自粛が解除になりました。

GW前にスタッフが「逃げ恥の3話録画し忘れた!」と落ち込んでいたので、
私が録画したのをDVDに落としてくることを請け負った。
1話だけでは申し訳ないと思い、空いているところに”八つ墓村”を入れることを申し出たが、丁寧に断られた。
私 「165分ノーカットの八つ墓村なんてめったにない。タイタニックと同じような時間だよ」
スタッフ 「ホラーは苦手なんです」
私 「どんな内容か知ってる?」
スタッフ 「足が、水面から出ているやつですよね」
・・・”八つ墓村”と”犬神家の一族”の区別が付いていない人間が近くにいるとは思わなんだ・・・

横溝作品の映画ベスト3を挙げよ!という問いに皆さんはどうお答えになるでしょうか?
1.犬神家の一族 2.悪魔の手毬歌 3.獄門島ではないだろうか?
しかし、それは金田一耕助=石坂浩二の呪縛が解かれていないように思える。
私は3.八つ墓村と答えよう。八つ墓村の金田一耕助役は、寅さんの渥美清なんですよ。
犬神家の一族は2回も映画化されているので人気があるのは認める。
けれど私は声を(?)大にして言いたい!ベスト1は”悪魔の手毬歌”であると。
犬神が家族の怨念なら手毬は夫婦の情念かもしれない。
手毬唄にそって娘たちが殺されていく。その中で20年前の事件の真相が明らかになる。
主役は岸恵子と若山富三郎。金田一の石坂浩二はわき役と言ってよいだろう。
親子の情、警部の淡い慕情、そして謎解きも素晴らしいし、映像も美しい。完璧!
なぜツタヤ三島店にないのか!?時々見たくなるのに!
コロナの第2波が来て、再び自粛生活を余儀なくされた日にはぜひ見てください。

IMG_2861.jpg 
我が家の犬神家の一族(1976年版)が録画されているDVD
ワンちゃんの映像じゃないよ。


2020.05.17 / Top↑
強制収容所から解放されて自由になる。十分な栄養と睡眠が得られる生活。徐々に日常に戻っていく過程でその中に潜む、むしろ収容所生活そのものよりも深刻なことを、わずか11ページで3章は説明している。
解放直後は喜びをなかなか実感できず、“うれしい”をもう一度学びなおす必要があった。おとぎ話の世界なら、「そして解放された後、人々は幸せに暮らしましたとさ」となるが、現実はそうはいかない。
長い期間抑圧された者の心理状態がどうなるか?著者は潜水病に例えている。潜水していたものが急に浮き上がると病気になるように。人間の精神も急に解放されると病むという。
わかりやすい病み方は権力・暴力という今まで自分がされていたことを、今度は権力・暴力を使える側に廻るということだった。3章の中に、著者が麦畑に新芽が出ているのに気づき、そこを踏まないようにしようと仲間に言うと「女房子供を殺された俺の立場はどうなるんだ。こんな小さい芽を踏むのもだめなのか!」と怒鳴られた経験が書かれてある。いかに多くの損害を受けたものでも、損害を与えてよいことにはならない。

 心はある程度の重荷を含めてバランスをとっているのかもしれない。重荷がなくなるとかえってバランスを崩す。学校行くのめんどくさいと思っていたような子でも、2か月も学校に行かない状態を健全とは思っていないだろう。学校に行くというある種の重荷が子供の生活を健全にしていたと考えられないだろうか。
残念ながらまだこの時点(5/6)では自粛解除になっていないので、解放後の自分の心理と3章をリンクすることができないでいるが、「我慢していたんだから、羽目を外そう!」とだけは思わないようにするつもりだ。自粛は解除になっても、コロナ感染の可能性のある患者さんを診察し、コロナ感染以外の患者さんを感染させないようにし、スタッフも自分も感染しないようにする私の仕事は解除になっていない。
 
 そして本当の苦悩はここから始まる。解放された人が元の場所に戻ったからと言ってすべてが元通りなわけではない。苦しんだことを帳消しにする、幸せになるシステムなどなかった。
家族も失われていたし、自分の体験を聞いて欲しく友人を訪ねても「何も知らなかったんだ」「私たちも苦しんだんだ」という反応に不満や失望が深まる。収容所の方がいつか解放されるかもという“希望”があった。なのに実際に戻ってきてみると“失望”だけ。苦悩のどん底だと思っていたのに、実は苦悩は底なし沼でもっともっと落ちていくんだという絶望感。これを乗り越えることが、多くの解放された収容者にとって最も困難だったとあった。
収容所を生きのびたのに、解放された後、自殺した元収容者も多かったのだろう。不幸な状況でも幸せになる可能性がある方が、“幸せではない”という状況より幸せだという現実は、戦争だけでなく日常にだってある。
これを乗り越えるに何が必要か?漠然とだが、“感謝”と“謙虚さ”を意識することではないか?と思っている。アフターコロナはこれを実践する日々になるのだろう。いや、強制収容所ではたいていの人が、今に自分の真価を発揮できる時が来ると信じていた。しかし人の真価は収容所を生きのびることで発揮されていた。この事実を思うと、まさに今、コロナの中にあってこそ”感謝”と”謙虚さ”を実践しなければ、と思っている。




2020.05.06 / Top↑
 飢餓状態で強制的に働かされて理不尽な暴力を受け個人の自由だの尊厳だのが地に落ちた状態が続くと、心はどうなるのだろうか?仲間が殴られている光景や、さっきまで話していた人が窓の外に死体で転がっているのを見続けたら、心はどうなるのだろうか?答えは“なにも感じなくなる”だ。生きのびること以外はどうでもよくなり、感情を抹殺し冷淡で無関心になる。著者はこれを「感情の消滅」と書いている。最初に抹殺される感情は家族への想いで、次は嫌悪感。幸せの源である“家族に会いたい気持ち”と、不幸の根である“自分を取り巻くありとあらゆるものへの嫌悪感“。人はプラスとマイナス両極端の感情から抹殺していくのだとこの本は教えてくれた。心を動かさず一定にすることこそ、自分の心を守る盾となるのだ。
 
 4月に入って緊急事態宣言が出されると、何とか細々とやっていてくれたプールだけでなく、図書館までが閉まってしまった。私の二大趣味(二つしかないが)の二つともができなくなったのだ。無い現実を嘆いても仕方がないと自覚していたかどうかは自分でもわからないが、泳ぐことを考えなくなってしまった。最後に泳いでから1か月になる今では立派な“ハンドクラップダンス愛好家”である。また、新しい本に出会えなくなると、おのずと自分の本棚に気持ちが向かう。「夜と霧」をもう一度読んだのも必然だったのかもしれない。
著者の家族に相当したのが私にはプールであり本ならば、嫌悪に相当するものは何だろう?それは情報だった。テレビでも、ネットでもありとあらゆる情報が流れていた。自粛に入って私はコロナに関するテレビとネットからの情報を限定するようにした。本格的な自粛に入ったころ、コロナ感染の可能性のある患者さんを診察し、コロナ感染以外の患者さんを感染させないようにし、スタッフも感染させないようにする。もちろん自分も。そこに集中するために感情を刺激するようなニュースを切り捨てていった、そう集中するために思考の盾を作ったのだ。その頃の自分と“感情が消滅し内面がじわじわと死んでいく”著者の心理過程と重なってしまう。

 そもそも内面など持たないものは収容所の世界に浸っていった。(1)で書いた血色よく痩せていないユダヤ人は同じユダヤ人を虐待したり、財産を巻き上げたりする係だった。”魂を売る”という言葉があるが、もしかしたらそういう人は売るべき魂も持っていないのかもしれない。自粛生活でも同じ自粛者をその内情をよく知らないで攻撃する人もいる。私の出身、富山県の感染第一号者の家は落書きされ、父親は会社を辞める羽目になり一家で引っ越したという。自殺したユダヤ人が自己放棄なら、同じ立場の人を責めるのも自己の良心を放棄しているのではないだろうか?
 より所となる内面を持っている人はそこに逃げこんだ。心の中で家族と語ることができる。思うことは誰にも奪えないのだ。ローマの皇帝の「憩いの場所は自分の魂の中にある。平静な魂は静かで安らぐ。そしてどんな醜悪なものにも侵されない」という言葉を思い出す。皇帝もある意味囚われた職業だったから、こんな言葉を残せたのかもしれない。
 そして内面が深まってくるとちょっとした自然が強烈に感じられるようだ。ここは原文のままを読んでほしい。
「。。。ある夕べ、私たちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急き立てた。太陽が沈んでいく様を見逃させまいという、ただそれだけのために。
 そして私たちは、暗く燃え上がる雲に覆われた西の空を眺め、地平線いっぱいに、くろがね色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いで絶えず様々に幻想的な形を変えていく雲を眺めた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃える様な天空を写していた。
 私たちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、誰かが言った。
 『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」 ここまで。
 
 今日も一日終わったとホッとした病院からの帰り道、道路を渡ろうとして右の東側を見て、左に首を振った時、西の空がきれいなピンクから紫に染まっていた。この瞬間、「夜と霧」のこの描写を思いだし、泣きそうになった。自然だけではない。スターバックスのコーヒーを飲んだ後プラスチック容器に笑う富士山がペンで書かれていることに気がついた。いつもは気がつきもしないか、気づいてもプラゴミへ一直線なのに、今も取ってある。
やはり世界は美しい。

 3章の10倍、1章の5倍のページが2章では使われている。2章の最後ではこの本の核、“生きる意味について”書かれているが、それについて、私は未だ模索中であり、いつか内容が消化できたらブログに書けるかもしれない。

2020.05.04 / Top↑
久しぶりに「夜と霧」を読んだ。
この本の原題は「ある心理学者の強制収容所体験」であり、精神科医である著者のアウシュビッツでの強制収容所体験から得た人生への提言書である。コロナによる自粛生活と強制収容所生活は似たところがあるのでは?と本棚からとりだしたのだった。もちろん収容所での強制労働、飢餓、おまけに家族を失った著者と私は比べものにならないのだけど。
おおまかな内容は収容された初期、収容生活そのもの、解放後の3つ時期の心理状態に1章ずつさかれている。


他のユダヤ人と貨物列車にぎゅうぎゅう詰めにされて、ガス室があることで名高いアウシュビッツに移送された現実。家族と別れて強制労働かガス室かの命の選別に始まり、財産の没収(著者の場合は書きかけの論文)、身ぐるみはがされ、番号付きの収容服を着せられ。。。収容された直後に環境が目まぐるしく変わっていく描写が多いのにも関わらず、著者の心理的描写は少ない。“収容所ショック”という言葉ぐらいだが、迎える係の同じユダヤ人が血色よく痩せていないのを見て、良い待遇を受けられるのでは?となんとか希望を見出す。「こんなひどいこと長くは続かないさ、自分だけはもしかして解放されるかもしれない!」
 私の自粛生活(身体的にも心理的にも)が始まったのは3月初めからだったと思う。最初はもともとがあまり外に出ないし、自粛も悪くないようにも思っていた。診察や感染予防に気を配ることが増えたが、そういう苦労なら私には必要とすら思えた。あの頃は保健所や医師会からのFAXが止まらず流れて来ていた。内容は感染対策だ。マスク、ガウン、手袋、手指消毒を準備!診療で求められる基準はこうだ!保健所にPCRを依頼する基準について、など。コロナ感染を疑う基準としても最初は帰国者だけだったのがその接触者も含まれ、ついには東京、名古屋など都市部を出入りしている人と、数日単位で変わってきた。ワイドショーでは色々珍しい人目を引く感染パターンを叫んでいる。情報が次から次に耳に入りそれに追われ、診療と自分の生活を情報に合わせ準備する生活では、今思えばろくに自分の精神なんて振り返る暇もなかった。「夜と霧」のでもこの頃の心理描写が少ないのがわかるような気がした。環境の変化、情報の波についていくのに必死だったのだ。そんな中にあっても時々私の心を占める考えはあった。「こんなこと今まで無かったのだから、長くは続かないさ、引きこもり気味の自分だけはうまくやれるだろう!」本当の意味の”自粛”を知らなかったのだ。
ちなみに、この時期この本からとった私なりに解釈した言葉をスタッフに掛けていた。
“異常な時に異常なのは普通だ”と。

2020.05.04 / Top↑