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強制収容所から解放されて自由になる。十分な栄養と睡眠が得られる生活。徐々に日常に戻っていく過程でその中に潜む、むしろ収容所生活そのものよりも深刻なことを、わずか11ページで3章は説明している。
解放直後は喜びをなかなか実感できず、“うれしい”をもう一度学びなおす必要があった。おとぎ話の世界なら、「そして解放された後、人々は幸せに暮らしましたとさ」となるが、現実はそうはいかない。
長い期間抑圧された者の心理状態がどうなるか?著者は潜水病に例えている。潜水していたものが急に浮き上がると病気になるように。人間の精神も急に解放されると病むという。
わかりやすい病み方は権力・暴力という今まで自分がされていたことを、今度は権力・暴力を使える側に廻るということだった。3章の中に、著者が麦畑に新芽が出ているのに気づき、そこを踏まないようにしようと仲間に言うと「女房子供を殺された俺の立場はどうなるんだ。こんな小さい芽を踏むのもだめなのか!」と怒鳴られた経験が書かれてある。いかに多くの損害を受けたものでも、損害を与えてよいことにはならない。

 心はある程度の重荷を含めてバランスをとっているのかもしれない。重荷がなくなるとかえってバランスを崩す。学校行くのめんどくさいと思っていたような子でも、2か月も学校に行かない状態を健全とは思っていないだろう。学校に行くというある種の重荷が子供の生活を健全にしていたと考えられないだろうか。
残念ながらまだこの時点(5/6)では自粛解除になっていないので、解放後の自分の心理と3章をリンクすることができないでいるが、「我慢していたんだから、羽目を外そう!」とだけは思わないようにするつもりだ。自粛は解除になっても、コロナ感染の可能性のある患者さんを診察し、コロナ感染以外の患者さんを感染させないようにし、スタッフも自分も感染しないようにする私の仕事は解除になっていない。
 
 そして本当の苦悩はここから始まる。解放された人が元の場所に戻ったからと言ってすべてが元通りなわけではない。苦しんだことを帳消しにする、幸せになるシステムなどなかった。
家族も失われていたし、自分の体験を聞いて欲しく友人を訪ねても「何も知らなかったんだ」「私たちも苦しんだんだ」という反応に不満や失望が深まる。収容所の方がいつか解放されるかもという“希望”があった。なのに実際に戻ってきてみると“失望”だけ。苦悩のどん底だと思っていたのに、実は苦悩は底なし沼でもっともっと落ちていくんだという絶望感。これを乗り越えることが、多くの解放された収容者にとって最も困難だったとあった。
収容所を生きのびたのに、解放された後、自殺した元収容者も多かったのだろう。不幸な状況でも幸せになる可能性がある方が、“幸せではない”という状況より幸せだという現実は、戦争だけでなく日常にだってある。
これを乗り越えるに何が必要か?漠然とだが、“感謝”と“謙虚さ”を意識することではないか?と思っている。アフターコロナはこれを実践する日々になるのだろう。いや、強制収容所ではたいていの人が、今に自分の真価を発揮できる時が来ると信じていた。しかし人の真価は収容所を生きのびることで発揮されていた。この事実を思うと、まさに今、コロナの中にあってこそ”感謝”と”謙虚さ”を実践しなければ、と思っている。




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2020.05.06 / Top↑